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誰かと言葉のやり取りをする気持ちの余裕が
皆無だったわたしは、SNSで
ベルにがんの告知があったこと、
状況が正直あまり芳しくないことを告げ、
オンラインでもオフラインでも同様に
”引きこもり”状態となりました。

そんな折、前回書いたように
母からの昔から相も変わらず
わたしの気持ちに対して
まったく共感性を感じられない返信を貰い、
自分の不安感情をオープンにすることに
ますます躊躇する気持ちが募っていました。

話は逸れますが、
「悩んでいる人」が命を絶ってしまった後に、
「どうして相談してくれなかったんだろう?」
と残された人が自責の念にかられることがありますが、
「相談」することや、
気持ちをオープンにすること自体が
もはや「恐怖」で、
これ以上、傷つきたくないがゆえに、
自分の心を守る最後の手段が、
皮肉なことに相談することではなく、
「誰にも相談しない」へと
とってかわってしまうことが
あるのではないでしょうか?
少なくとも、あの時の自分はそうでした。

そのような暗澹たる気分の最中、
わたしに1通のメールが届いたのでした。

差出人は、同じ大学に通っている
まだ知り合って間もない
同じく老犬と共に暮らす女性からでした。

そこには、愛する飼い犬が
いままさに、旅立ちの準備へと入ったこと。
自分も同じ状況で、
今夜も共に眠れそうであること。
そんな内容が淡々とつづられていました。

丁寧に淡々と・・・ではあるけれど、
メールを書いて送ってくれている
彼女が直面している状況が
いかに悲しく切なく、
差し迫ったものであるのかは
文脈の気配から容易に察しがつきました。

その中にあった、

今日も明日も来週も…
まだまだベルちゃんと一緒に出来ること
沢山ありますから、
何よりもみゆきさんのこと
ベルちゃんが心配していますから。

この部分を読んだときに、
それまでベルを追って自分もこの世から
消えることばかり考えていたわたしに衝撃が走りました。

「いま、わたしがベルと一緒にできること?」

ベルを失ってしまうことの恐怖で頭がいっぱいで、
いまのベルにしてあげられることを見つけることを放棄し、
あきらめていた自分に気づかされたのでした。

そしてこうも思ったのです。

同じ言葉を、
いままさに、愛犬の死と向き合っている彼女以外の
他の誰かから諭されたとしても、
こんなにも深く、素直に受け止めることは
できなかっただろうと。

その瞬間から、
わたしは泣くのを止め、
「いま、ベルに何ができるのか」
を、どんなに些細で小さなことでもいいから
必死で考えるようになりました。

大きな悩みや悲しみ、
苦しみを背負った人に対して、
きっと誰もが慰めや励ましを
届けたいと思っているはずです。

でも、必要な言葉を
必要なタイミングで届けるお役目を背負える人は
ひょっとしたら決まっているのかも知れません。
そしてそれはごく限られた人なのでしょう。

彼女との一件で、
必要な言葉を届けてくれる人がいる
ありがたさに感謝するのと同時に、

届けたい言葉を軽はずみにならないよう
「ぐっ」と呑み込んで
黙して見守ってくれている人も
近くに居るのではないか?
そんな風に思ったのでした。

この日を境に、わたしの絶望感は
少しずつその様相を変えてゆくことになりました。

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