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動物病院でベルにがんが見つかったことを告げられた翌々日、
泣いているのだか、息を吸っているのだか、
吐いているのだか分からない朦朧とした状態で、
気づけばわたしは携帯から母にメールを打っていました。

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ひとつ前の記事に少し書きましたが、
愛犬を失うかも知れない恐怖や、
抱えきれなくなった想いを、
誰かに聞いてもらいたい・・・
でも、話した相手からの思わぬ反応や
どうしたって肌で感じてしまう
「温度差」に話した相手に対して
自分勝手な被害者意識を感じたくないし、
ましてや、話した相手に
自分に対する「ケア」の義務感など抱かせたくない・・

そんなことを考えていたら、
ベルの件は、
わたしの今の必要最低限の状況を説明した後は、
できるかぎり自分の中に納めよう・・
そう決めたのでした。

それでも、他にこの半狂乱になりそうな気持ちを
世界でたったひとり、
共有して欲しいと願う人がいたとしたら
それは「わたし」と言う「命」を
この世に生み出してくれた母なのでした。

するとほどなく、返事が届きました。

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読んだ瞬間、
わたしを絶望感が襲いました。
でも一方、
「やっぱりそうきたか・・・」
と言う冷めた笑いがこみあげました。

物心ついた頃から、
どうして母は、わたしの感情を
分かってくれないんだろう?
一緒に泣いたり、怒ったり、
歓んだりしてくれないんだろう?と
ずっと不思議に思って生きてきました。

小学校の頃、クラスにひとり
同級生に言葉や暴力でいじめる子が居て、
その子と家が近所だったわたしは、
よく登下校の際に待ち伏せをされては
ランドセルに背後から蹴りを入れられたり、
靴を隠されたり、言葉で脅されたりしていました。
ある時、担任の先生がホームルームの場で
その子から被害を受けている生徒たちに、
直接「やめて欲しい」と言う場を設けることになり、
それは当事者の親も含めて、
ホームルームの前日までに
クラスの保護者全員に連絡網で回っていたようでした。
もちろんわたしも、その子に
「~~が嫌だから、やめて欲しい!」
とはっきり自分の意志を伝える準備をしていました。
ところがです。
ホームルームの前日の晩、
母はわたしにこう言ったのです。

「他の子は意見をしていいけど、みゆきはやめて。
ご近所だし、お母さん、〇〇さんのお母さんと
やりにくくなったらすごく困るから。お願いだから、
ホームルームでは、何も言わずに黙ってて。
お願いだから、ね?」

その時、わたしの中で、何かが
ガラガラと崩れ落ちる音が聞こえてきました。

「この世でわたしを守ってくれる人はいない。」
「困っても、相談できる人はいない。」

そんな信念がくっきりと刻まれた瞬間でした。
あの日、わたしは、意見を求められたにも関わらず、
ホームルームではひとことも発言をしませんでした。

それ以降の人生でも、
何度か母とは感情の共有を試みましたが、
そのたびに、母には避けられているような、
恐れられているような・・そんな気がしていました。

そしてついに20歳の時、
「わたしはもっとお母さんと心と心の話がしたいの!」
と言った言葉に対して、
「何それ?やだ、気持ち悪い!
宗教でもやってるんじゃないの?」
と返されたことをきっかけに、
それ以後、わたしは自分の本音や感情を
母には一切打ち明けなくなりました。
「早く結婚して、この家を出よう」
その一念で、大学生活を過ごし、
たまたまそのタイミングの合った夫と結婚し、
家を出たのでした。

ベルが最初に体調を崩して手術をした5年前にも
母に電話をしたのですが、
「そんなことお母さんに言われても困る。
動物はだから嫌。動物はいつかは死ぬんだから、
仕方がないでしょ!」
と電話越しに言われて終わりでした。

その時のことがあったので、
「やっぱりな・・・」と思ったのです。
そして、命を生み出したことがあるこの人なら、
「わたしの気持ちに寄り添ってくれるのでは?」と
甘い期待を抱いた自分自身を責めたのでした。

いままでさんざん癒してもらったり
楽しませてもらったりしてきたのだから・・・

文中のこの部分を読み返しながら、

「ふざけるな!」
と何度も嗚咽しました。

癒してもらっただと?
楽しませてもらだと?

ベルがわたしにしてくれたことは
そんな言葉では到底おさまらない。

お前たち(親)と築くことが叶わなかった
人間が生きてゆく上で欠かせない唯一のものを
ベルが小さな身体で精いっぱい
わたしに繋ぎ続けてくれたんだ!

その夜、ぐったりと横たわったベルを前に、
わたしは慟哭が止まりませんでした。

泣き疲れて、ふと見上げると、
3階のロフトへと上がる
簡易はしごを立てかける金属バーが目に飛び込んできました。

2階の床からは約3メートルの位置にあるそれは、
高さも、耐強性も、
ひとひとりぶら下がるのに十分でした。

「ここに、あった・・・」

その時感じたのは、
安堵だったのか、歓びだったのか、
失望感だったのか・・・
いま振り返ってみても
自分でも上手く言葉になりません。

そんな折、思いがけない人から
1通のメールが届いたのでした。

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