まだ冬の寒い時期、「今年こそはこの眼でその瞬間を見てみたい!」
そう思って撮ったのが、こちらの写真、『羽化』。

 

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蝉の羽化をイメージして仕上げた作品です。

 

幸い割合と自然豊かな場所で暮らしているので、
梅雨明けを待たず、蝉が鳴き始めてからは
街路樹や公園の大木を注意して観ていました。
けれど、こちらの希望とは裏腹になかなか出逢えず、
「今年も無理かなあ・・」と思っていた矢先に、
昨夜友人がその模様をSNSでライブ配信している場面に
運よく立ち会うことが叶い、
思いがけず視ることが出来たのでした。
それは、私の写真など到底及ばぬくらい、
力強く切なく美しかった。

 

少し前までは、地中に6年~7年近く居て、
やっと地上に出てきたと思ったら、
1週間ほどでその命を手放す蝉の人生を
(そう言う種なのだと分かっていても)
理不尽だなあと思っていました。

 

夏の終わりには、道に落ちた蝉の死骸を横目に
「私はこの蝉のようには終わりたくないなあ」と逃げるように
心の中で呟きながら、その実、本当に逃げたかったのは、
「この歳になっても、まだ何者にもなれていない
うだつの上がらない自分自身」だったのだと思います。

 

「突き抜けたい」
「誰からも、どこからでも見えるような、花のように咲きたい」
「もっと、上に。もっと高く。」

最近、あれほど執拗に自分を駆り立てていた焦りと不安が
いつの間にかなくなっていることにふと気づきました。

「てっぺん」とか「上」とか「自分の花」etcにはことごとく興味が失せて、
その代わりに、いま、たまらなく愛しい営みとなっているのは、
それまで誰の目にも留まらなくともコツコツと積み重ねてきたこと、
学んできたこと、それらひとつひとつが繋がって、熟成して、
またそこに新たに学んだことや気づきが放られて交わって発酵して、
ほくほくとした「土」になってゆくような・・・この”果てしない”感じ。
その様子は、誰にも見えず、誰からも賞賛もされず、
「達成」を声高に叫んだりもしない。
でも、私自身にだけは、その価値と尊さがはっきりと分かる・・
そんなようなこと。

我ながら「地味」だよなあ・・・と呆れたある日、
ああ、そうか、だから”地を味わう”と書いて「地味」と言うのだなと、
思わず膝を打ちました。

 

 

 この話を、先日逢った友人に近況報告がてらしたところ、
彼女がこんな風に言ったのです。

「土にしっかりとした養分さえあれば、むしろ花は勝手に咲くと思う。」

 

そうねえ・・そうかもねえ・・

と、頷きながら、

 

「私、今まで、”花”を咲かせるどころか、
浅い苗床に撒けば一週間で食べられる、
”かいわれダイコン”みたいな人生を生きていたかも!」

 

と返すと大爆笑でした。

 

願わくばいつの日か、ジャガイモやニンジン、ゴボウと言った
地中の美味しいお野菜たちと、人生の実りの収穫祭を迎えられますように。