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誰とも同じではない私だけのトクベツな何か
誰も敵わない私だけの突き抜けた何か
天職、天命、使命・・・
そんなようなことを長い間、必死に追いかけて生きてきました。

一見、向上心があって、素敵な生き方に見えるかも知れませんが、
その実情はいつだって、誰かとの競争、嫉妬、ポジションの奪い合い。
優越感と劣等感の振り子に激しく揺さぶられて
”人生の三半規管”はとっくに壊れているにも関わらず、
それでも「止まってしまう」恐怖に比べたら
吐きそうでも揺らし続けた方がまだマシ・・・

そんな生き様が極まったある日のこと、
「底つき」と言うものを経験して
ようやく立ち止まれたのは、つい1年ちょっと前のこと。

毛細血管のように複雑に張り巡らされていた人間関係を
あらかた整理し、先ずはそれまでの生き方、来し方を内省する日々。
それまで「白」だと思っていたものを「黒」だと視点を変えて
過去を昇華するためにひとつひとつ追体験するのは、
何とも情けなく辛いものでした。
ですが、幸い温かく支えてくれた方たちのお陰もあって、
少しずつ「自分」と言う感覚を取り戻せたのだと思います。

「自分にしかできないこと」や、「使命」って
ある日突然、雷に打たれるようにして出逢うものなのだと
漠然と思っていました。
周りの友人たちはとっくに出逢えているように見えるのに、
私だけにはその日がいっこうに来ない気がして、
毎日不満だったし、羨ましいやら妬ましいやらで・・。

でも、この頃は、
今、自分の「手のひらに残ってるもの」をよくよく見ています。
それらは決して多くはないし、期待していたような
トクベツな何かでもないのだけれど、
残るべくして、残ったもののような、
むしろ、懐かしい友人たちのような。
そうだ、「これ」で私は生きてゆくんだ・・・!
それは雷に打たれると言うよりは、
深呼吸みたいな瞬間でした。

あれほど突き抜けるだとか、
「トクベツ」に憧れていた私だけれど
今はどちらかと言うと、
ささやかでも、穏やかに「社会の歯車」となれたらいいなあ・・
と願っています。

「社会の歯車」って単語・・・
どちらかと言うとマイナスなイメージの方が多いでしょうか?
私も、そうでしたし、そうなりたくなかったからこそ、必死でもありました。
でも・・・「社会の歯車」って、実はすごいことなんだと、
今の私は心の底から思うのです。

「社会の歯車」にさえなれていなかったこと、
そこにやっと気づくことが出来たから、
「手のひらに残った」私と一緒に、
じっくりと、「いま」を生きてゆこうと思っています。