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地元の図書館から”予約した本が整いました”との連絡があり、
束の間、雨が止んだタイミングを見計らって、
いそいそと受け取りにいってきました。

借りた本の中の1冊ー

「ポリヴェーガル理論」を読む
津田真人著

私が、SE™療法に出会うきっかけになった本です。
(ちなみに、「ポリヴェーガル理論」を教えてくださったのは
前回のブログに登場したS先輩なのです。)

「ポリヴェーガル理論」を読む -からだ・こころ・社会-

「ポリヴェーガル理論」を読む -からだ・こころ・社会-

  • 作者:津田 真人
  • 発売日: 2019/06/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

実は、この本を借りるのは2度目。
1度目は今年の1月。
手にとって、読み始めてはみたは良いけれど、
あまりの難解さにまったく歯が立たず、
100ページも読めずに挫折したのでした。

こちら側は、「ねえ、ねえ、教えて、教えて!」
と、若干”前のめり”になっているのに対して、
本の方は、「やれやれ・・・」と言った具合のすまし顔で、
相手にもしてくれない切ない感じ。

それが、私とこの本との最初の出逢いでした。

「いつか、もう一度この本に挑戦したい!」

ずっとそう思い続けてきたのですが、
あれから半年が経ち、
ある程度”生理心理学”の基礎用語が頭の中に入った今、
再び読んでみることにしたのです。

「良書」の基準と言うのは、人によって十人十色だと思います。

少し前までの私にとっての「良書」の基準とは、

その時自分が欲している知識や、抱いている疑問に、
もれなく応えてくれる本でした。

簡単にいうと、
本にどれだけ満足させてもらえたか、
空腹をどれだけ”お腹いっぱい”にさせてもらえたか
基準だったような気がします。

ですが、「学び」の日々にどっぷりと身をおく内に、
いつしか良書の基準は、
どれだけ「挑ませてくれるのか」へと変わっていきました

例えば、その本に書かれてあることを理解するために、
前段階の基礎となる知識を、より平易な別の本で学んだり、
文章を読解するために、単語の意味を調べてみたりと、
本に「語りかけてもらう資格」を
先ず、積極的に身に着けようと強く思わせてくれる本。
そんな本こそが、本物の「良書」なのではないかと
思うようになったのです。

パラパラとめくってみると、
相変わらずの難解さに変わりはないけれど、
目に飛び込んでくる単語ひとつひとつが、
前回より圧倒的に馴染みがあることに、
おや?これは・・・!と、かすかな手ごたえを感じます。

「今度はギブアップせずに、どこまで読めるかな?」

手探りで、良書の樹海をたったひとり、じりじりと進んでいく。
仮に迷子になってギブアップしたとしても、大丈夫。
またそこから「挑め」ばいいのだから。