ただ、ある時、こんな疑問が湧いてきました。

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いや、確かに私は、何事も内側に抱えこんで、
ひたすら、あーでもない、こーでもないと、
脳内でこねくり回すことをやってますよ?
ええ、やってますよ!!!
だけど、人と関わるのがまったく嫌か?と言えば
決してそうではないよね?
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と。

そう、私は、人と人との深い信頼関係の結びつきのもと、
想いを交わしあう関係を大切に思っているし、
むしろそう言ったお付き合いは大いにウェルカムなのです。
(ただ、理由はわからないけど、疲れちゃうのよね^^;)

 

つまり、「内向的」=「非社交的」
ではないと思ったわけです。

 

これは、同時に「外向的」≠「社交的」
と言うことをも意味しています。

 

私は次に、
ただ、理由はわからないけど、疲れちゃうだけ
と言う状態に注目しました。

 

なぜ、私は人と一緒に居ると「疲れて」しまうのか?
「疲れない」人はどうしてなのか?
何が自分と違うのか?

 

いろいろな人を観察しましたし、
自分自身、身を挺して実験もしたりしました。

 

そして私は、最初の「表現の根本」を疑ってみることにしたのです。

 

「疲れる」って表現が、そもそもちょっと違うのかも?!
(この発想に至ったのは、NVCのおかげです。)

 

そして、こんな仮説を立ててみました。

「疲れて」るんじゃなくて、
単なる「消耗」だとしたらどうだろう?って。

「消耗」・・・、それはまるで、
充電したバッテリーが、
時間とともに自然と放電して
ゼロになってしまうようなものだとしたら?

つまり、人と一緒に居て、
私と違って「疲れない人」と言うのは
「消耗」していない人と言うことになります。

 

こちらは電池に例えるのなら、
誰かと一緒に居ることで

「充電」できているってこと。

 

とすると、
私の場合、人と一緒の場と言うのは、

エネルギーが「放電」状態なので、
だから結果「消耗」と言うことになります。