人生のあらゆる瞬間を「幸せの種」へと変える
あなただけの”心眼レンズ”を持つことで、
超”幸感度”カメラライフを始めてみませんか?

 

美魂(みたま)転写フォトグラファー
さとう美雨(みう)です。

◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆

 

きょうは1日、鵠沼海岸で
小川彰子さんの「ホールエナジーマネジメント」の講座を
受けていました。
5月らしいクリスピーな風と
波音に包まれながらの瞑想のひとときは
本当に気持ちが良かったです。^^

 

そしてなんと!
先月の26日以来、
家族以外でまともに人と対面して会話するのが
2週間ぶりと言うことに
アキちゃんと再会してはじめて気づきました^^;
(HP構築をはじめとするお仕事の件では
数人の方とLINE等でやりとりはありますが。^^;)

 

それぐらい、今、
自分自身の「エネルギー」にがっつり向き合って
日々を過ごしている・・と言うことになるんですけどね。

 

 

このアキちゃんの講座でも
「自分の感情」をどう取り扱ってゆくのか?について
丁寧に学んでいるのですが、
NVC(非暴力コミュニケーション)でも
まさに同様の意図で自分と深く向き合う流れを迎えています。

 

そんな中、湧き起こった「感情」を
ひとつひとつしっかりと拾って
その根っこにある「ニーズ」を見てゆくと、
私の場合は、
「怒り」と「悲しみ」の根幹には、
「認めてもらいたい」
「大切に扱われたい」
と言うニーズが必ずと言って良いほど
疼いていることを自覚してきました。

 

この、
「認められたい」とか、
「大切にされたい」とかって言う「ニーズ」は、
その感情が芽生えることになった出来事が起きた瞬間は、
当然ですが、「ニーズ」を求めた
対象の人(自分の外側)に対して
抱いた感情であるにせよ、
その本質は「鏡」と同じで、
自分が自分自身に対して(内側のベクトル)
「認められたい」とか「大切にされたい」と
発している感情であることは、
こちらをお読みくださってる方たちなら
すでにお分かりですよね?

 

私も頭では理解していたつもりだったので、
「もう、なんで私は、
いつまでもこのステージから卒業出来ないの?」
「いい加減、もう、この”自己憐憫のループ”終わらせようよ~。涙」
と嘆いていたわけです。

 

そこで、この、「自分を認める」って言う「ニーズ」を
具体的な行動に移してみようと思って、
ノートに書き出してみたんです。^^;

 

過去の大変だったあの時、あの日、あの瞬間を
思い描きながらね・・・。

 

で、書きながら、

 

「うん、わたし、やっぱり割と、
“自分を認める”は出来てるよねえ~。」

 

なんて、訝しく思ってた。(苦笑)

 

ところがです!

 

途中まで書き終えたそれらを読み直してみて
あることに気付いたのでした。

 

そのどれもこれもが・・・

 

「○○さんのやり方は確かに意に沿わないものだったけれど、
あの人に出逢えたおかげで、私もここまで成長できた、ありがとう。」

 

とか、

 

「○○さんにあそこまでされなかったら、
今日のわたしは居なかった。感謝だ。」

 

みたいな内容なんです。

 

これ、どう言う意味か分かります?^^;

 

確かに、「○○さんのおかげ」・・
その通りかも知れないけど、
その厳しかった状況を乗り越えたのは、
他でもない「私自身」であるはずなのです。

 

どんなことがあっても、
私がその時を「生き抜いた」からこそ、
今があるのだし、
私の人生を一瞬だって他の誰かが
代わってくれたことはなかったはずなのです。
そう、これは動かしがたい事実。

 

だから、先ずは、

 

「どんな時も乗り越えて、生き抜いてくれた私、ありがとう。」

 

これなんじゃないか?って思うんです。

 

それなのに、私は、「感謝」さえも、
自分は後回しで・・・。
(いったい、だれに遠慮してるのか?
謙虚さとも絶対に違うよね、これ。)

 

これじゃ、「認められたい」「大切にされたい」って
「ニーズ=コア」を持っている自分は
一生、満たされるはず・・ないですよね?
必死で叫びますよね?
「先ずは自分を認めてよ!」
「自分を大切にしてよ!」って。

 

極端な話、
「○○さんが居てくれたからこそ・・・」
はその後でも、良いんだと思うんです。
忘れてるくらいでも丁度良いんじゃないかな?。

 

で、「○○さん」をふっと思い出せたときには、
「あ~わたし、○○さんのおかげ様をすっかり
忘れてた~。」
って感謝(「感じて」「謝れ」)すれば良い。
そっか、だから「感謝」って言うのか!
と、頭の中がつながった感じでした。

 

 

私たちはとかく、
何か困難を乗り越えた時とか、痛い目を見た時には、
その過去を「変換」する方法として、
「○○さんの辛いご指導のおかげ」や
「厳しい環境があったからこそ」

なんて言葉を使うけれど、
そして、そう出来ることが、
精神的な成長を意味する・・
みたいな風潮もあるんだけど・・・
たぶん、これ、「~~のおかげ」って言い換えてるだけで
まだ「~~のせいで」の域を抜けられてないんだと思う。

 

「自分のおかげ」がしっかり腹落ちしたら
同時に、
本当の意味で、
「自分のせいで」って言う「自己責任」の自覚も持てるような、
そんな気がしています。

ここ2週間くらいでの
一番の大きな気づきがこれでした。

なんか、文章の構成しないで
がががーって書いちゃったけど、
今日の記事伝わったかな~?^^;

 

これからは、こんなNon推敲で「放出系」な発信が
増えるかも知れないです。

 

 

「モヤモヤ」は「モヤモヤ」したまま・・を
大切にしたいと思っています。^^

 

そして、これからも地道に
自分の「コアのニーズ」を
しっかりと丁寧に満たしてあげたい・・
そう思っています。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^

◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆

ブログの感想や、フォトレッスン・セッションのお申込み、
お写真に関するお悩みなど、遠慮なくお便りください^^
必ずお返事致します^^